当処の”手あて”について(愉氣)

弊処では『手あて』というものを大事にしています。
要は悪い処に『手をあてる』ということです。
 
そうすると「な~んだ! ただ手をあてるだけか」と
言われそうですが、実際はそのとおりです。
 
でも「手をあてる」という行為自体は初歩的なことですが、
頭やお腹が痛い、転んでどこかぶつけた…となると、
まず、痛い場所に手をあてますね。だれでもできると思います。
 
また幼少のころを思い出してください。
例えばお腹が痛いときなんか母親に手をあてて
もらった経験がありますね。逆に親御さんであれば
子供さんが具合が悪くなれば、そこに思わず手をあてた
ことがありますよね。
 
手をあててれば、何となく良くなったという記憶があるのでは
ないかと思います。何故なら、動物もそうですが、
人間は誰でも自然治癒力が備わっています。
つまり自分で元気になっていこうとする力を持っているのです。
それを「手をあてる」ことで、知らずに実践しているだけなのです。
 
つまり原初である「手をあてる」ことを通じて、自身や互いの
身体を良くしていきたいわけです。
 
ただ誤解をしてほしくないのは、
「手をあてる」「手をかざす」ことで、気功で言う外気治療のように、
悪い処をなおそうとしたり、手から氣的エネルギーを出して
どうこうすることではありません。
巷にある直接的に「氣」でもってどうこうしようとすることとは
異にしています。
 
ひたすら天心に還り、何か病気を治すそうという意念も取り払い、
そして、無心になってなって自己に、相手に手をあてる。
そうすれば、手を通じて自身と相手の感覚が覚まされ、敏感になり
そこから互いの氣と感覚の交流が始まり、深くなっていくと同時に、
互いに心地良いものになっていく….。
 
日本で整体の大家である野口整体では、
この天心になった氣の交流を「愉氣(ゆき)」と呼んでいます。
 
弊処でも、この「愉氣」を大事にして、
まずは「手をあてる」ことから、自らと、互いの氣と感覚の交流を
深めていきながら、整体指導を行い、体操などの身体操法を
行っていきます。