自分でできる健康&整体生活|広島らくしんかん整体 愉氣と集注1

以前、手あて(愉氣)についてお話ししたとき、

”ただ何も考えずポカーンとただ手をあてれば良い”と申しました。

 

基本それでいいと思っています。

 

しかし漫然と”手”をあてれば良いものではない。

 

そこに”集注”というものがでてきます。

 

”集注”?、「集中」の間違いじゃないかと思われますが、違います!

 

意識をそこに注ぎ込むのです。

人間の意識をそこに集注するのです。

 

意識は「人間の精神集注」ですが、集注はその密度が濃いくなります。

喩えると、虫メガネで太陽光をとらえて一点に集注させると、火がつきますね。

 

まさに、余計な観念を排除し、あてた手の先に意識を集注できるかどうか?

これが密度が濃い”愉氣”でもあり、質の異なる”愉氣”にもなるのです。

 

我々は密度が高く、異なる次元の質の”愉氣”をしたいのです。

 

やってることは、ただの手あてですが、

我々が目指さんとしていることは、こういうことなのです。

こういう質の愉氣は一朝一夕にはできません。日頃の修行が必要となります。

(つづく)