自分でできる整体&健康生活|広島市西区らくしんかん整体 ”氣”を少し考える

弊処で行う整体は”愉氣”が基本となりますが、

その”氣”について、また少し考えていきたいと思います。

元気・陽気・陰気・やる気・強気・覇気…など”氣”に関連する言葉は

非常に多いですし、我々も日々の生活において何気なく使っていますね。

 

以前ブログでも、弊処での捉え方として”氣”を「物質」的なもの、

「見えない恣意的なパワー」として捉えるのでなくて、ただありがままとして

捉え感じるという事に言及したと思います。それがお互いの氣を頭での観念や意識を抜きにして、

ただ感じる「氣の交流(感応)」から始まると申し上げました。

「愉氣」は「氣の交流(感応)」からスタートするのではないかとも触れました。

 

ここで恐縮ながらも

野口晴哉先生著の「整体法の基礎」(全生社)において「気」について以下の説明がなされています。

 

<私はそうして心や体の働きをつなぐものは何かを観てまいりました。元気とか、不機嫌とか、

気という言葉はいろいろに使われておりますけれど、さて、その気とは何かというと、なかなか答えられない。

外国の人達は、オーラとか、ミトゲン線とかという言葉で説明しておりましたが、

それらを丁寧に観ていきますと、それらはみんな体の中にある細かい物質の分散なのです。

しかし、私のいう人間の気とは、そういう細かい物質の分散ではなく、分散する力なのです。

必要なものを集めてくる力、不必要なものを捨てていく、分散していく力をいうのです。

細かく分散されたもの、それが気ではないのです。物質を吸収したり発散したりする力、それが気である、

心と体をつなぐ力、それが気なのです。だから精神の集注の密度が濃くなりますと、気は旺んになります。

体を動かすことが活発になると、気も旺んになります。

 

非常に奥が深い文章だと思います。なるほど!っと思っても、

よく読むとどういうことなんだろう?と、未だ氷解できないところがあります。

 

少なくとも”氣”は「物質」では「力」として捉えています。

ただ気を付けたいのは、引っ張ったり・押したりする「ナマ」の力、物理的な力ではないと思います。

「物質を吸収したり発散したりする力、心と体をつなぐ力、それが気なのです」としています。

さらに「精神の集注の密度」によって、気をコントロールというか、旺んにすることができるとしています。

 

よく中国の気功でも言われています。

「気が集まれば生となし、死ねば気が散じていく」

また、日本でも古来から

「穢れ(ケガレ)は気が枯れる事」

とも言います。

 

人間生きているうえでは、”気を集めている”ことにもなりますし、

生きているからには”自ら気を集めたり、減じたりしてコントロール”をしています。

 

その証拠に、

「赤ちゃん」は、母親など他人の保護なしでは生きることができないのを本能でわかっていますから、

自分の身に何かあれば「泣いて」、周囲の気を集める力を持っているのです。

よく「赤ちゃん」が泣くと、「何事か?」と周囲の大人が一斉に注目しますよね、

それだけ赤ちゃんや、小さい子供の”気”の集注の力は、大人が及ばないほど大きいのです。

 

逆に病気なれば「元気がない」に象徴されるように、何となく”気”が集まっていないことに

感じ取れますよね、例えば高齢者の場合、小さな子供と較べると”元気に動き回ることも難しく、

何だか”気力”が無いことも感じ取れるかと思います。

 

日常生活でも、腕の見せ所や、ここ一番の大勝負どころでは「気合い入れる」がごとく、

集中していきますよね。それは単に「物理的な力」だけでなく、意識もついていくと思います。

その逆が「気が抜ける・気が散る」ということで、するべき事に「やる気」が起こらなくなりますよね。

普段の日常生活でも、何気なく「気の集注にコトンロール」をしているのです。

 

ここで行う『整体』での「氣」は、理屈はまったく同じだと思います。

ただ、相手に「指導」できるレベルになるために、”氣”の感受性を高め、集注を磨く必要があるのです。

 

感受性や氣の集注を高めることによって、「氣」の感応のクオリティも高めていきます。

それにより”氣の停滞”している場所を感じていきます。その”感じ”つまり「氣の感応」に沿って、

“氣の交流と、さらに氣の誘導”をおこない、相手の体にある氣の質をかえていくことになります。

 

そうすると「なんだ!氣で治すのか?」と思われるかもしれませんが、

実際にはその通りだと思います。

人間だけでなく、生きているものには「氣」があります。同時に「自然治癒力」も本能的に備わっています。

「病気やケガ」になれば、まずは「自然治癒力」が働き治ろうとする力が働きますが、

その原動力は、今まで述べた”氣”であります。

 

「物」には、それができないと思います。壊れたら勝手に治るということは無いと思います。

人間はじめ生物には「氣」が備わっているから、かような自然治癒力が働く一方で、

普段から何気なく「氣」をコントロールしながら使っているのです。

整体では、その根源「氣」を、ちょっと視点を変えて使っていきたいわけなのです。

(おわり)