”予防”という落とし穴|広島らくしんかん整体

新年が明けて寒さ厳しい日が続きます。

街を歩くと防寒具にマスクをする人をよく見かけます。

風邪が流行りやすい時期を予期して、風邪を”予防”するつもりなのでしょうか。

 

近現代に入り病気のメカニズムが、コト細やかに分析されるにつれて、

病気の”予防法”もコト細やかになってきました。

テレビを見ていれば、ニュースだけでなく、〇〇病の予防・対策といった健康番組は必ず見受けられるし、

天気予報でも気象予報士が”明日は寒さが厳しく、一段と乾くので、防寒・乾燥対策をしっかりして

風邪などひかぬよう注意してください”とまで訴えかけます。

はっきり言って”余計なお世話”だと言いたくなります。

 

そうは言っても、”予防”という概念は必要だと思います。

単に病気だけでなく、交通安全、防犯や自然災害にも言えることだと思います。

自然社会だけでなく人間社会において、まったくの無防備では自身がいつ崩壊するか

わからない状態になり、まともに成り立たなくなってしまうでしょう。

 

ただ最近、とくに病気に対して”予防”というものが独り歩きしすぎているような気がします。

ネットなどで情報を得やすいせいか、情報や知識に振り回されて過敏になりすぎている。

そんな感じがするのです。

 

例えば、皆さんが受ける健康診断でも数値の結果で判断したり、

効果的と思われる予防に繋がる健康食品や医療器材に飛びついたりと、

商業的な面も絡め”予防”ということに意識しすぎている面がでているような気がするのです。

 

確かに”病気”は不調でもあり不快でもあり、ひいては苦しみの淵へ誘われて、

挙句のはてには”死”に至らしめるという”恐怖”がついているせいでしょうか。

”予防”という意識で守ろうとする裏返しに”病”への恐れがあるのだと思います。

 

”予防”という姿勢自体が、すでに守りでもあり、受け身にもなります。

ただし恐怖に対する”完全な予防”をすることは事実上困難であります。

かえって”予防”を意識しすぎるあまり自身の内面の恐怖感も抱え込んでしまっているのです。

とくに、いくら”予防”をしようとしても、結果的に予防できなかった時の”恐怖感”を内面で

煽ってしまっていることもあるのです。

 

そういう人をよく見かけることがあります。

その特徴として、外面は重装備に対して内面は予防しようとしている対象に非常に神経質に

なり、時にはそのマイナス的な思考で自身のカラダや考え方を受け身にし、弱らせているようにも

見えます。

 

ある医者は病名だけでも数えると20万以上もあると言われます。

この20万以上をそれぞれに予防しようとしたら、それだけで人生が終わってしまい、

ほかに何もできなくなります。主なモノだけしぼっても、結果的に貴重な人生の多くを

費やすことにもなりかねません。

 

ここでまず言いたいのは、”予防”に対して自分たちがどういう態度で向き合うかかです。

ひいては”病気”というものをどう捉えるかにもなります。

”病気”は敵で、怖いもの、やっつけるもの…という考え方に捉われると、

やはり病気という恐怖から逃れるために、”予防”という意識の束縛を自ら被ることになるのでしょう。

(つづき)