人生”普通”でいいの?|根本改善整体らくしんかん(広島市)

よく”普通”って言われますが、普通ってなんでしょうか?

 

高校に進学したら”普通科”だったし、

よく勉強や仕事でも”普通にやっとけば、大丈夫だよ”とあるし、

”あの人は普通の人よ”と言ったことも、

”普通の暮らし””普通のかっこう””普通の食事”などなど

挙句にCoCo壱番屋のカレーでも何気なく、ご飯の量、辛さ”普通”で注文する。

(最後のカレーのことはどうでもいいですが)

 

本当に気がついたら、何気なく”普通”という言葉や観念に、

どっぷりつかってしまっているのでないでしょうか?

 

意外に、自分たちも”普通”という言葉や観念は都合が良くて便利なんですね。

そのなかに自分の考え方、行動も押し込ませておけば、とりあえず他から大きな批判や、

お咎めもなくラクにいられますから。

 

しかし”普通”という概念にどっぷりはまると、思考が画一化したり、発想に拡がりがでなかったり、

いままでの自分の枠を超えられず、いつまでたっても進歩しない自分のままでいる危険性もあります。

 

特に日々のルーチンワークで長年どっぷり浸った会社員生活から、

独立してフリーランスという生活になると、

この”普通”というものから脱却しないと、新たな世界で

生き抜くことが非常に困難なことにも痛いほど気づかされてきました。

 

この厳しい競争社会、”普通”はちょっとした努力で誰でもできます。

必要とされる人の立場から見れば、ある意味、平均化され中途半端な部分があります。

ヘンなたとえですが、昔あった駅前の大衆食堂のように

”いろいろたくさんメニューがあるが、どれもさほど美味くない”という状態なのです。

そのレベルにいる限りは誰彼にも見向きもされないし、評価もされない。

誰もそんな中途半端な価値しかないものは欲しくないでしょう。

 

意外に自分はこのレベルにまだ埋没したまんまなんだねと….。

それなら”普通”から脱却しないと……。

 

しかし、普通からの脱却には相当なエネルギーが要る。

一発で成功するとは限らない、何度もやり直さないといけない。

その根気とエネルギーは覚悟しなければならない。

 

しかも、これまでの捉われや、固まった思考のままでは太刀打ちできず、

無駄な努力となり、いつまでも脱却することができません。

 

いっぽう、今からどんなに努力しても、仮に努力の方向性が正しくても

スグには結果が出るとは限りません。

しかも、今メシを食べているルーチンワークの状態も決して楽ではない、

長期間離れるわけにはいかない。

 

結果をすぐに求めて、性急に飛びつけば失敗は目に見えているわけです。

 

そこで、どう転換させるかが問題になるわけです。

 

ひとつは、考え方を少し変えればいいんじゃない?

 

じゃどういうふうに変えるの?

 

「準急」でいこうよ!

 

「準急」?

 

そう「準急」的発想よ。

 

えっ「準急」って何のことよ?

 

うん、鉄道の種別よ、準急って「準急行列車」といって、

急行ほど早くないけど、普通より早いということ。

つまり急行と普通の中間という事。

 

そう?

 

ある時は”急行列車”のように徹底的に突っ走って、

ふっと思ったときには普通列車のように、ゆっくり、じっくりと我を振りかえてみる。

 

”普通”の人生からも脱却したい、だけど”急行”のように、何でも急げばいいっていうものでもないよね。

急いでばかりいると大事なものを見落とすし、しかも息切れするものね。

 

そういうことで、ちょっとこじ付けですが、

”準急”的な発想も必要じゃないのかなと、ふと最近思っています。

(おわり)