やさしいフィンランド史-なぜロシアとの関係が危ういのか?
2022.04.22
モイ!(フィンランド語で”こんにちは!”)
フィンランド整体らくしんかん・ナガミです。
ここ毎日、ロシアのウクライナ侵攻が報道されています。
ロシアのウクライナ侵攻。
ロシアと1,300キロも国境を接するフィンランドにとって、他人事ではありません。
いまや国内でNATO加盟の動きが高まっているようです。
リンク:Yahooニュース フィンランド首相、NATO加盟申請について「数週間で」結論
いっぽうロシアは、フィンランドのNATO加盟の動きをけん制して
国境沿いにミサイルや核を配備するなど、緊張が高まっています。
独立前からフィンランドの歴史は、
良くも悪くもロシア、旧ソ連との関係性を抜きにしては語れません。
どちらか言うと、悪いほうが多いのですが。
今回は
ごく簡単にロシアとの政治的関係を視点に、フィンランドの歴史をざっと紹介します。
それでも長くなりますので、詳細は”アメブロで3つ”にわけて解説していますので
併せてご参考ください。
さっとわかる! フィンランドの歴史(独立~第2次世界大戦)
フィンランドが独立したのは1917年です。
それまで帝政ロシアが支配していたのですが、ロシア革命時にフィンランドは独立しました。
ただし、すんなり独立したわけでなくロシア革命で成立したソ連の影響を受けた”赤軍”と
自由主義体制を支持する”白軍”とが、はげしい内戦となった結果”白軍”が勝ち取りました。
”白軍”は、議会を有した”フィンランド共和国”として独立したのです。
独立しても、資源もなく酷寒の地なので農業、鉱工業とも発展はいまひとつ。
対するソ連は、もとはロシア領だったフィンランドを取り戻そうとして、強大な軍事力を背景に
チョッカイをかけてフィンランドと対立。ついにフィンランドと2度の戦争に至りました。
(参考リンク)
リンク:アメブロ やさしいフィンランドの歴史概略①-NATO加盟とロシアのウクライナ侵攻から
戦後フィンランドの中立化路線は?-戦後から現代まで
第2次世界大戦では、2度の戦争(冬戦争・継続戦争)で多大な犠牲を払いながらも
フィンランドの独立と自由主義体制の維持は守り切ったものの、一部領土の割譲、ソ連軍の駐留
賠償金の支払いなど、極めて不利な条件でソ連と講和しなければなりませんでした。
しかも、戦後のソ連は悪名高き”スターリン”の時代。
もしフィンランドが、バルト三国のようにソ連に併合されていたり
ポーランドほか東欧諸国のように、共産主義体制にさせられソ連の衛星国になっていたら
多くのフィンランド人が、スターリンやソ連共産主義指導者のもとで
粛清、迫害、あるいはシベリア流刑になっていたかもしれないことを考えると
国の独立と、自由主義体制を守ることは非常に重要なことです。
しかし、核もある強大なソ連に対して、
フィンランドは石炭・天然ガスなど資源もソ連に依存しており
独立を維持するうえでは、イヤでも仲良くつき合わざるを得なくなります。
そのためには
自由主義陣営なのに、米国や西側諸国とは距離を置くことになります。
とうぜん戦後からNATOの陣営に属さない”中立化路線”を進んだのです。
たとえソ連から傲慢なことや、多少無理なことを言われても
相手の言い分を飲むしかないのです。よく言えば”協調”ですが、悪く言えば大国追随です。
これを「フィンランド化」と悪く言う人もいました。
その結果、戦後から1980年代のソ連崩壊まで
この中立化路線のおかげで、独立の維持と戦後の経済発展を遂げたのです。
(参考リンク)
リンク:アメブロ やさしいフィンランドの歴史概要②-ロシアのウクライナ侵攻で緊張高まる
ソ連崩壊・ロシア建国-中立化路線の変化へ
ソ連が崩壊し、ロシアとなると
フィンランドはロシアからの影響力から抜け出そうと”EU”に加盟しました。
まず経済的にドイツ・フランスなどの西欧経済圏の仲間入りをします。
また、NATOにも正式加盟ではないのですが
オブザーバー的な立場で参加したり、兵器もこれまでソ連製から米国製のものに
切り替えるなど、少しずつ脱ロシアの動きがあったのです。
決定的なのは、このロシアのウクライナ侵攻です。
フィンランドの国内世論は、ロシアに対しての不安がイッキに高まりました。
その結果、NATO加盟の動きが大きくなったのです。
以上、駆け足となりました。
今回フィンランドのNATO加盟の動きがあるなかで、
その背景を少しでも理解していただけると幸いです。
(リンク)
リンク:アメブロ やさしいフィンランドの歴史概要③-フィンランド化とは?中立化路線とは?
(おわり)